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『ガン』と生きる
ガンが見つかってから今日までの記録です
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MRI検査
今年も残り2ヶ月になった。
年を取ると1年が早い。aki4.gif

若い時は毎日の経験が新鮮で日々が充実しているが、年を取ると新たな経験が少なくなり、振り返っても記憶に残らない日々のため早く過ぎると思うのだそうだ。
そうかもしれないなあ。

6ヶ月検診でMRI検査を受けた。
『異常ありません』と言う医者の言葉で、また当分の間、安心して過ごせる。
しかしこのMRI検査はやかましい。磁石がガチャガチャ動く音が強烈である。
メガネ、入れ歯から貴重品が入ったバッグまで、検査室には全部持ち込み禁止なのだ。

先日何かの記事で読んだが、昔、患者に使っていた酸素ボンベを持ち込んだ所、MRIが作動するとボンベが磁力に吸い寄せられて機器が破損する大事故があったそうだ。
以来、MRI室用の専用ボンベが出来たそうだ。
メガネやらも、強力な磁力で飛んで行ってしまうのかも。
しかし、そんな強磁場の中に人間がいて大丈夫なのかな。megane3.gif


こうやって一歩一歩ずつ安心の日々を積み重ねて行くのがうれしい。
まあ、新鮮さはないが、決して退屈した日々ではない。

ブログ
いったい日本中でどれくらいの人がブログを書いているのだろうか?
FC2だけでも2007年で会員数が200万人だそうだから、何千万人??
しかしよく考えて見ると、昨今、個人情報保護がやかましく言われている中で、ブログは自らが自分の情報を世間に知らしめている。3.gif


個人が特定されないとは言え、なぜ自分の事をわざわざ世間に公表するのだろうか?
それは自分と言う人間が存在する事を、皆に知って貰いたいからではなかろうか?
一生懸命に働き、偉くなって世の中に認められた人もいる。
あまり努力もせず出世もしないで、ただ平凡に過ごした人もいる。
どちらの人が幸せな人生を過ごしたか?
それは他人が決めることではない。自分自身が決めることだ。
どんなにハンディを持った人であろうと、どんなに不幸せな人であろうと、自分と言う人間が今、生きている事を知って貰いたいのだ。
だからブログで自分の事を書いているのではないだろうか?

先日、新聞にこんな記事があった。
『ブログの作者が死んだら、ブログはどうなるのか?』と言うのだ。
作者がいなくなってブログが何年も更新されなくなったら? - 運営会社が削除する?
いやいや、誰かのアクセスがある限りは、ず~と残っている?
しかし誰もアクセスしないブログが、何年も放置されていたら?
ブログは個人の主張である。
昨今、亡くなった故人を偲び、友人たちがブログの書き込みを長く続けようと言うような事があるらしい。
なるほど、そう言う使い方もある。

cmaru01_01.gifしかし今の世の中、何が起こるか分からない。
GMやクライスラーと言ったとてつもない大企業が破綻する時代だ。
突然、ブログの運営会社がなくなることも・・・


小さな喜びと悲しみ
H21年8月13日。
喉頭摘出手術を受けて満2年になった。
早いようでもあり、まだ2年かと言う思いもある。

がんは5年過ぎると一安心と言われるが、その意味からはまだ半分にも達していない。
でもおかげ様で、もう1年以上入院生活は送っていないし、毎日元気に通勤できている。
だが実際のところは、嚥下障害(ゴクッと飲み込めない)がひどくなって来ている様に思うし、朝も直ぐに起きられなくなって来ているし、通勤も随分疲れるようになって来た様に思う。
一番の心配はリンパ節への転移である。
首の後ろが痛むし、日によっては気管孔を中心にパンパンになっている事がある。
日替わりで状態が変わるのだが、心配性の自分としては気になって仕方がない。
バッファリンを飲んだり、バンテリンを首に塗ったりして紛らしているが・・・


この夏、『夏休み』と言う名目で4年ぶりに有給休暇を取った。
平成17年以来である。
入院と手術、そして有給がなくなって欠勤で休んではいるが、『夏休み』と理由を書いたのは久々で、ちょっと嬉しかった。
夏休みに田舎に帰り、わずか49歳で胃がんで亡くなった母の墓参りに行った。
私がまだ高校1年生だった。
そんな母親の年をはるかに越えたが、もう少し長生きさせてとお願いした。
clothes_a11.gif

手術以来、すっかり痩せてしまって元に戻らない。
ジーパンも合わなくなって腹回りがぶかぶかになったので、女房に新しく買ってもらった。
『私が使ってたこのスリムタイプのジーンズも穿けるのでは?』と女房が言うので、穿いたらピッタリ。
女房のサイズが穿ける自分が、ちょっと悲しい。

身体障害者
身体障害者になってから、この8月でもうすぐ2年になる。
社会は障害者にやさしい。
市は地下鉄とバスの無料パスをくれるし、鉄道や飛行機も運賃を割り引いてくれる。icon_su11s.gif
ETCも半額で通行でき、大変ありがたく利用させて頂いている。
どうしてこんなにやさしくしてくれるのだろう?
障害者は社会で働くのは難しく、生活が大変だろうから助けてやろうと言う考え?
だが私の勤める会社は大企業であり、60歳定年後も雇用延長で、喋れない障害者の私を働かせてくれている。得意のパソコンでEXCELやPowerPointを駆使し、分析資料を作成するのが仕事であるが、そう言う知識を身に付けて来た事が役立っていると思っていた。
だがそれは単に私が恵まれているだけで、今の世の中、トヨタショックでも分かるように働きたくても働けない人が一杯いる。

ある時、地下鉄でこんな光景に出会った。
優先席に若いカップルが座っていたのだが、乗ってきた男性がやおら障害者手帳を出し、カップルに席を譲れと言っている。
もちろんカップルは席を譲ったが、私はそれを見ていて幾つかの自問をした。
見知らぬ人に堂々と、自分は障害者であると言える勇気は私にあるだろうか?
障害者手帳を利用して、自分の権利のように振舞うのは正当なことなのだろうか?
老人なら見過ごせたのに、障害者だから心に引っ掛かったのはなぜだろう?

自分にはガン患者という認識はあるが、障害者という感覚は余りない。
ほんの少しの喉の痛みや体調の変化に、ガンの再発ではないかと怯える日々を送っているが、障害のために生きるのに必死になっていると言う事が少ない。
だが実情は、放射線の影響で唾液が出ず、水分なしでは食事が出来ない。image4424.gif
リンパ節や甲状腺を切除した為ひどい寒がりになり、冬は辛く肩も凝る。
右の肺も半分しかない為、急な動きをするとすぐ息が切れる。などなど・・・
でももうこれらは直らないし、毎日をビクビクして生きても仕方ない。

毎週発声教室へ通って食道発声を習っているが、同じ喉頭摘出手術を受けた者であっても、誰一人として全く同じ範囲の手術、全く同じ体へのダメージを受けた人はいないと言う。
皆それぞれ違うのだ。
だがこの教室に来る人達みんなが、人には言えぬ努力の結果、普通の生活を送れるようになられたのであろう。
自分もこれからの人生を普通に過ごして行きたいと思っている。
障害者は社会から恩恵を受けているが、社会に対して何かを返すのは難しい。
その意味からも、教室で発声を教えて頂く先生方には頭が下がる。
何も出来ない私は、だから普通に生活し、出来るだけ社会に迷惑をかけないようにしたいと思っている。
自分に優し過ぎず、だからと言って頑張り過ぎずに過ごしたい。
障害を自分の権利のように思わない事が大事ではなかろうか。
その為にも、1日でも早く喋れるようになりたいのであるが、これがなかなか・・・・

また抗がん剤
sen6.gif
生まれた時オギャ~と泣いたであろう声
喧嘩し、意見を述べ、夢を語った声
低く、ちょっと擦れた声を私は失ったosyougatsu-01.gif
大抵の事は筆談で事足りる
だがこちらから積極的に何か言おうとする時、億劫になる
合図したのに気が付いて貰えず、まあいいかとあきらめる
それじゃいけないんだろうな
落ち込むし、鼻歌さえ歌えない
osyougatsu-04.gif食道発声法と言うのがある
食道を震わせて音を作るのだそうだ
実際にそう言う人に会って見たが、極めて自然に喋っている
病と闘い散々な1年だったが、頑張ってもう一度喋って見たいと思う
まだ第二の人生が始まったばかり、やりたい事もいっぱいあるし負けてはいられない
今年はいい年でありますように
sen6.gif
平成20年年賀状の文である。
食道発声教室に通い始め、会社勤めも午前中のみの勤務から全日勤務へと変わり、女房のお陰で徐々に普通食も食べられるようになった。
平成20年の正月は家族と温泉で過ごした。
残念ながら気管孔のせいで肩まで温泉に浸かれない為、好きだった露天風呂には入れなくなったが、旅行できるまでには回復してきた。

延び延びになっていた抗がん剤治療もようやく白血球が基準以上になり、年明け早々に入院した。
今度の抗がん剤は『シスプラチン+タソテール』で、白血球減少、脱毛、嘔吐の副作用が強いと言われていたが、それぞれ2時間程づつで点滴されると、その日の夜から翌日夕方まで、ほぼ1時間おきに吐き続けた。
そして点滴から1週間後には白血球は580まで減少し、感染予防のためマスク、手洗い、生もの禁止となった。だが本人は特に異常は感じない。
白血球を増やす注射を数日射たれ、急速に数値は回復して1クール17日間の入院が終わる。

退院後1週間後位で毛が抜け始め、風呂でシャンプーするとごっそりと抜け落ちるようになった。
60過ぎの親父にもさすがに格好が悪く、冬でもあったので毛糸の帽子をかぶって出勤したりしたが、回りからは色々好奇の目で見られた。
この後も注射で回復した白血球は再び下がり、次の入院が出来ないと言う状況が続いた。
そしてようやく毛が生えて来たと思った3月下旬に2クール目の入院。
6月半ば3クール目の入院と過ごした。
結局手術から、もう直ぐ1年になろうかと思える平成20年6月末に『これで予定した治療は全て終わりです』と医者から言われた。
CT、MRI、PET検査を立て続けに受け、全て異常なしと言われようやく終わったと実感した。
3度抜けた髪の毛は、『もうダメだと思った』と言う女房の予想を裏切り、前にも増して黒々とした毛が生えてきた。どうも女性ホルモンが多いらしい。

こうして平成18年春から始まった辛い入院、手術の日々は、丸2年を経てようやく一段落したのである。



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